過去(または現在)、境界性パーソナリティ障害(BPD)だったとされる有名人をまとめました。ご参考にしてください。
ヘルマン・ヘッセ
南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を画いた作品が多い。また、ヘッセは、風景や蝶々などの水彩画もよくしたため、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。そして、1946年、彼は、『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。
太宰治
その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』など。
太宰は慢性的な虚無感や疎外感を抱えており、安定している時は自己愛的性格だったが、不安定時は感情統制が困難であったとされ、芥川賞を逃した時の怒りは常軌を逸していたという。
感受性が強く、なおかつ高い知能を持っていた太宰がパビナール依存に陥ったのはごく自然な成り行きだったかもしれない。また、離人感や自殺念慮も有しており、自殺(心中)未遂を繰り返し、5回目で自殺完遂に至った。28歳の時には精神科病院である江古田の東京武蔵野病院へ入院している。
ダイアナ妃
イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢として生まれ、1981年にチャールズ皇太子と結婚、彼との間にウィリアム王子およびヘンリー王子の2児をもうけた。しかし後にチャールズ皇太子と別居状態になり、1996年に離婚。1997年にパリで交通事故による不慮の死を遂げた。
ダイアナ妃もリストカットなどの自傷行為、過食嘔吐の摂食障害を克服した人物として知られる。特に王妃として公人生活を送るようになってからは、衆人の目にさらされるストレス、夫婦間の諍いにより摂食障害が悪化し、カミソリやレモンスライサーで体を切ったり、夫のチャールズと口論中にテーブル上にあったペンナイフで自分の胸や腿を刺すなど衝動的な行動を取ることもあった。慢性的なうつ状態もあり、大勢の心理療法士や心理学者、精神分析医にかかっていた。
後年のダイアナはチャリティー活動に生きがいを見出し、対人地雷の廃絶、ホームレスやエイズ患者、暴力被害や薬物依存症の女性問題に取り組むなど、既存の枠に捕らわれない奉仕活動を行い、「病んでいる人、苦しんでいる人、虐げられた人とともに歩んでいる」と称えられ、世界中で愛された。
マリリン・モンロー
彼女は1962年に予期せぬ死を迎えるまで、わずか10年ほどの女優活動だったが、彼女の映画は2億ドルの収入を生み出した。
マリリン・モンローも7回に及ぶ自殺未遂を繰り返し、薬物の過量服薬で死去した。母子家庭であったが、母親はうつ病で何度も精神科病院に入院しており、孤児として育てられたモンローは、愛情に飢えていたが、他者との親密な関係を保ちにくかったと言われる。
睡眠薬とアルコールの依存症になり、1954年から精神分析医による治療を受けている。主治医はモンローについて「いつも自分を価値のないつまらない人間だと思っていた」と振り返る。
ウィノナ・ライダー
高校では芸能活動をしていたことや華奢でボーイッシュな容姿を理由に酷いイジメを受けていた為、通学を免除されリポート提出をもってそれに代わる処置を施され卒業する。
BPDで入院歴もあるウィノナ・ライダーは、主演・制作総指揮をした映画「17歳のカルテ」で、BPDの主人公スザンナ役を演じている。映画の原書となったノンフィクション小説 「思春期病棟の少女たち」 に惚れ込んだ彼女は、映画化権を買い取り制作にも参加した。
なお、ウィノナ・ライダーは「バカに見える」という理由で元来ブロンドである髪を黒く染めており、女優業については長い間、軽薄で恥ずかしい仕事だと思っていたという。
レビュー
マーシャ・リネハン
彼女自身もBPDであり、17歳の時に精神科病院に入院した。当初の診断名は統合失調症であった。薬物療法を受け始め、その後何時間ものフロイト式精神分析や30回に及ぶ電気けいれん療法を行ったが症状は改善せず、自傷行為の激しさのために2年以上も入院生活を送り、退院後も自殺未遂を起こした。
退院後は保険会社の事務員として働きながら、ロヨラ大学の夜間部に通い心理学を勉強し、1971年に博士号を取得して心理学者となった。
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