過去(または現在)、吃音症だったとされる有名人をまとめました。ご参考にしてください。
田中角栄(政治家)
幼少年時代に父親が事業に失敗し、貧しい生活を余儀なくされる。吃音があり、浪花節を練習して矯正した。「私の履歴書」では、彼が2歳のときにジフテリアにかかったことで吃音になったと祖母から聞かされたとある。
小学時代、習字の時間に墨をひっくり返したと疑われ、「僕ではありません」と言おうとしたが、顔が真っ赤になるだけで何も言えなかった。この悔しさから、その年の学芸会で弁慶役をし、成功して自信を得た。政治家としての彼の浪花節調の演説は定評があった。
小倉智昭(アナウンサー)
幼少期は秋田県秋田市で過ごす。彼は吃音で目が出ていたから「どもきん」とあだ名をつけられる。クラスで「マッチ売りの少女」の演劇があり、マッチを買う男の役になったものの「そのマッチはいくらですか」というセリフがどもって言えなかった。
犬と河原を散歩しながら大きな声で話したり、歌を歌いながら吃音の出にくい声の出し方などを自分なりに探っていった。
大学卒業後、競馬の実況アナウンサーとしてスタートするが、「カ行」の発語が苦手なため、「カ」のつく単語の前に意図的に修飾語句をつけてアナウンスしていたら、それが名実況として評価を得たという。
吃音者の自助グループで、吃音であってもここまで改善できることを、自らの経験を語り、励ましている。
江崎玲於奈(物理学者)
1973年に日本人としては4人目となるノーベル賞(ノーベル物理学賞)を受賞した。文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。
幼児期に吃音が出ているのを母親が心配したとの手記が残っている。学校生活でコミュニケーションが出来ないことが苦痛で、自分の中に引きこもりがちだった。自分はあまり人と話さなくてもよいサイエンスの研究に適した人間だと子どものころから思っていたという。
井上ひさし(小説家)
幼少の頃、義父から虐待を受け、そのストレスから吃音になる。母は生活苦のために彼を宮城県仙台市の孤児院に預ける。大学卒業後、1960年より放送作家として活動し、国民的人気テレビ番組「ひょっこりひょうたん島」を手がける。
吃音があってもそれに妨げられることなく、多くの講演活動を行う。
重松清(作家)
小説「青い鳥」では、吃音の国語青年教師が生徒と誠実に関わる姿が描かれ映画化された。また「きよしこ」では、吃音の少年の心情が描かれている。作者自身が吃音であったことから、細かな吃音描写、心理が伝わってくる作品である。
秋野暢子(女優)
幼稚園生の頃、父親が負債を負い、債権者に追われるようになり、小学4年生までには、ほとんど人と話さないようになった。赤面と吃音で出席のときに答える「はい」が言えず、いじめられっ子になる。
5年生の時、学芸会に出ることになり、短いセリフを何とか言うことができた。そのことがきっかけで、普段は吃音が出るのに舞台ではどもらないということを経験する。その後、担任の先生が演劇の道を勧めてくれ演劇を学ぶ。
ウィンストン・チャーチル(政治家)
1940年から1945年の間と、1951年から1955年の間、イギリス首相として職責を果たした。著名な政治家であり、名演説家としても知られている。
学生時代のチャーチルは、成績は振るわず、素行も悪く、病弱であった。後のチャーチルの専属医師ロード・モーガンの日記には、チャーチルの幼少期の吃音のことが記されている。またチャーチルの息子であるラドルフ・チャーチル卿も、父チャーチルの日常会話での舌っ足らずの軽い吃音を認めている。
バーモント大学コミュニケーション科学部のバーリー・ギター教授は「彼のスピーチの音声と映像をよく調べると、吃音で言葉が出ないということはないものの、上手く吃音をかわしているのがわかります」と語る。
更に、「チャーチルの吃音は確かに認められます。けれど私たちが知らなければならない大切なことは、彼が事実上吃音を克服して、人々を鼓舞し励ます歴史に残る演説をしている事実です。吃音があることは全く恥ずべきことではないのです。」と語っている。
ジョージ6世(英国王)
幼少の頃から吃音であり、病弱で「すぐに怯えだして、泣き出す子供」と言われていた。
2010年のイギリス映画「英国王のスピーチ」では、ジョージ6世が吃音を持ちながらも国王としての職責を果たしていった様子や、どのように吃音の障害を克服していったかが克明に描かれている。
レビュー
タイガー・ウッズ(プロゴルファー)
「小さい頃から吃音だった。小学校に入るとスピーチのクラスがあって発表したりすることがあったけれど、話すことはとても大変だった。特に短い答えを言う時が一番困った。答えが分かっていても、脳と口の間で単語がどこかに飛んでいってしまうという感じだった。でもなんとか学校は頑張った。よく犬が眠ってしまうまでずっと静かに話しかけていた。プロゴルファーになってからは、自分が吃音だからこそ人一倍頑張ろうと思ってきた」とインタビューで語っている。
ジョー・バイデン(政治家)
彼の吃音は幼少期から20代まで顕著であった。「吃音を改善するために特別な療法を受けたことはないが、カトリックのシスターが、リズムや抑揚をつけて話すことを教えてくれた。自分で詩を朗読する練習を沢山した。」と語っている。
政治家として長いキャリアをもつが、今も吃音を引きずっているという。「人生の目標に向かっているとき、吃音という障害があっても決してめげないように。吃音であることを受け止め、改善の努力をする忍耐力は、将来の人生の困難を克服する力につながっていることを知ってほしい」「私の吃音は神からの贈りものだ」と吃音者を励ましている。
マリリン・モンロー(女優)
彼女は、幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごすという不幸な生い立ちであった。彼女特有の悩ましいセクシーな声は、幼少時の吃音による影響といわれている。
幼少期にあった吃音は、しばらく消えたかに見えたが、高校に入ってからの2年間に再び吃音が出るようになる。この時は、スピーチセラピストが話し出す直前の適切な息継ぎを彼女に指導したので、上手く話せるようになった。
しかし、彼女の晩年(35~36歳)になってまた吃音が目立つようになり、セリフを言うのが難しくなったことがあった。それは精神的不安からと薬物乱用の影響によると思われる。彼女は記者団の前で、ことばが変に詰まって出て来ないという自分の吃音の症状を話している。
ブルース・ウィリス(俳優)
高校に入った頃から吃音が出るようになったが、演劇の舞台では出ることがなかった。舞台ならばどもらないで話せることを見いだし、舞台での演技活動、演劇部での活動、また生徒会長もした。
彼の並外れた努力、忍耐力は俳優としてのキャリアにも反映され、最も成功した俳優の一人と言われている。
チャールズ・ダーウィン(自然科学者)
彼が吃音であったこと、また彼のおじも吃音であったと言われている。
ルイス・キャロル(作家)
ルイスは生涯にわたって吃音であった。当時は人前で歌ったり詩を暗唱したりして人を楽しませることは良いことと考えられていた。ルイスは内向的で吃音ではあったが、人を楽しませる性格の持ち主で、努めて話そうと努力していたという。
スキャットマン・ジョン(ミュージシャン)
幼少期の頃から吃音が酷く、情緒面でも傷ついていた。12歳のときにピアノを習い、吃音の障害を越えて、音楽による表現の世界を持てるようになった。
1996年のインタビューでは、「私はピアノを弾くことで、話をすることに代えることができた。吃音のために人と話をすることが怖かったけれど、ピアノで自分を表現することができるようになった。」と語っている。
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