過去(または現在)、社交不安障害だったとされる有名人をまとめました。ご参考にしてください。
ジェニファー・ローレンス(女優)
2012年公開の映画『ハンガー・ゲーム』で主演し、日本でも大ブレイクした彼女も、学校生活では悩みも多く社会不安障害と思しき症状に苦しんだ時期があるという。「それで精神科医にも会ったけれど、何も効果はなかったわ」と彼女は言う。
しかし、地元ケンタッキーを離れニューヨークに移り、演技を始めると変化が現れた。それまでは「自分には価値がない」とまで思い詰めていたが、演劇を始めたことで自分の才能を確信。それ以来女優の道を進んだジェニファーは、ついにはトップ女優の座にのぼりつめた。
バーブラ・ストライサンド(歌手)
ニューヨークのブルックリンで育つ。1962年に歌手としてデビュー。代表曲は「ピープル」、「追憶」等。女優としても活躍し、自身の映画出演作の主題歌を歌ったり、楽曲の提供などもしている。
アカデミー賞は、『ファニー・ガール』で主演女優賞を、『スター誕生』で作曲家としてアカデミー歌曲賞と2度受賞している。また、複数のエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、およびトニー賞を受賞している。
アメリカの人気トーク番組で、コンサートのステージで歌詞がまったく思い出すことができず、歌うことができなくなってしまった経験から、それ以降30年間にわたり社交不安症とそれに伴う予期不安に苦しみ、闘病した過去を告白している。
その間は薬の服用とカウンセリングを受けるなどの治療を行い、治療が奏功して1994年に復帰を果たした。
ザック・グレインキー(プロ野球選手)
2006年の春季キャンプで社会不安障害によりチームを離脱、自宅で生活を送った。後にグレインキーはカンザスシティ・スター紙のインタビューで「僕のうつ病は自殺したくなるほど重度のものではなかったけど、先発で投げるのがいやになって、だんだん試合に出たくなくなったんだ。しまいには野球が嫌いになって選手を辞めたくなったんだ。」と語っている。
社会不安障害を患った経験から、プレッシャーの強いチームに所属することに不安を抱え、ロイヤルズとの契約には、2011年までニューヨーク・ヤンキースやボストン・レッドソックスを含む15チームに対するトレード拒否条項が含まれていた。
ドントレル・ウィリス(プロ野球選手)
2009年は開幕から不安障害で故障者リスト入りし、7先発後に同じ病気で離脱しシーズンを終えた。
エルフリーデ・イェリネク(小説家)
ウィーン市立音楽院でオルガンや作曲を学ぶ。ウィーン大学では美術史と演劇学を専攻するが、不安障害のために1967年中退。その後一年間、完全に自宅に閉じこもり、この時期に創作を始める。
2004年にノーベル賞を受賞するも授賞式には参列せず、代わりにビデオを撮って会場に送った。社会不安障害であること、広場恐怖症であること、ゆえに授賞式に行かれなかったこと、不安障害があったからこそ、小説を書き始めたなどをビデオで明かした。
のちには、不安障害のために映画館に行けないこと、飛行機に乗れないこと、いつか死ぬ前にニューヨークに飛び摩天楼が見たいなども明かす。
ローレンス・オリヴィエ(俳優)
才能に溢れたオリヴィエですが、彼が社交不安障害を発症したのは、体調が悪い日に舞台に上がった際、「セリフが出てこなかったらどうしよう」という不安に襲われてからだった。予期不安による悪循環が彼を苦しめた。
特に視線恐怖に苦しみ、演技中は共演している俳優陣に対して自分の目を見ないように訴えていたことが、自伝に記されている。
スーザン・オニール(競泳選手)
オニールは、「マダムバタフライ」とあだ名されるほどバタフライが強く、2000年にはアメリカのメアリー・マーハーが19年にわたって持っていた世界記録2分5秒96を破り、2分5秒81の世界新記録を打ち立てた。
彼女は、1998年に『Australian Women’s Weekly』とのインタビューで、「競泳で勝つことを恐れていた。なぜなら、勝つことは壇上に立ち人々の視線を集めることを意味していたから」と社会不安障害の悩みを語っている。
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